大角設計室のブログ

おだやかなくらし。刻が染み込む家をみんなで創ります。

なぜ古い家をこわさずなおすのかー後編ー

ながらく連載してきたこのシリーズもいよいよ完結。


このブログ前回のおさらい→なぜ古い家をこわさずなおすのかー中編ーへ



さて、前回までで
2つの性格を持つ時間がこの古い建物には染み込んでいると
説明してきました。




1つ目は、建て主が家に与える時間。すなわち
「今後、何代先にも渡って使用出来るよう願って建てたこと。」

2つ目は、住まい手が生活した時間。すなわち
「使用されて、家が生き抜いてきた時間。」

これからの未来の建物は「時間」というキーワードを
大切にするべきではないかと
この力強くうねる大黒柱を見て、強く感じました。


上記2つの時間の経過した空間に身を置いた時、
様々に表現のしようのない感覚が湧き出てきた経験が
多くの方にあるのではないでしょうか。
「なつかしい」とか「おどろおどろしい」とか
「ただ、ただ、すごい」だとか。

そういった感覚は何から生み出されるのでしょう?

恐らく、人よりも家の方が長く生きている という事実。
途方もなく生き抜いてきた民家のガンバリや時間を感じるからではないでしょうか。
ほんの少し前までは【家】は【人】よりおおきな存在でした。



現在のように、家は自分の趣味趣向を反映させた「商品」として買えるわけではなく
生まれた時には、既に受け継がれた家があることがほとんどでした。
家はそういう意味では自分ではどうしようも出来ない絶対的な「存在」でした。
ですから切実な願いを持って幾年も家に感謝し、そこで人は生まれ、死んでいったことでしょう。
民家は人の全てを受けとめる強さと温かさをもっていました。


現在は一昔前のような時代背景ではないからといって
これら古い家から学ぶことがないわけではありません。
「時間」という人が生を受けたときから存在するものを
静かにうけとめてきた民家という器。
この「時間に堪えうるものだけが」纏うことが出来る美が確かに存在すると確信しています。
その器をつくってきた、真摯な先人の態度やメッセージは
今の私達に古い家を通じて託されています。



次からは通常の工事ブログに戻ります。


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ゆあさ