大角設計室のブログ

おだやかなくらし。刻が染み込む家をみんなで創ります。

小舞壁


今日もそらをのびのびと飛行機が飛んでおります。

再生工事更新です。約二ヶ月ぶりですね  →記憶を呼び覚ますためクリック これまでの再生工事おさらい

前回は貫構造が見られなくなったもう一つの理由についてブログを書くと予告しました。
さて前回予告しました写真




上の写真は、竹が貫(柱と柱の間にある10センチほどの板状のもの)に
結わえられている状態の写真です。これは壁が仕上がってしまうと隠れてしまう壁の下地です。
竹小舞下地といいます。
なぜ竹を貫に結わえるのでしょうか。何か都合の良いことがあるのでしょうか?



真壁

真壁とかいて「シンカベ」と読みます。
柱を見せた状態で壁を仕上げたものを言います。
対になる言葉として
大壁とかいて「オオカベ」というものがあります。
柱を隠すように壁を仕上げます。


「真壁」で仕上げる時に先程の壁の下地はどうなってしまうのでしょうか。
順を追ってその後の工程を見てみましょう。




時間がかかるんです


まず割った竹をタテ・ヨコに結わえあげます。
そして




その後、その竹を下地にし壁土を外部から塗ってゆきます。ぬりぬり。
そうすると・・・・



外部から見るとこんな状態です。かなり表面には凹凸があります。でこぼこ。
この状態を荒壁といいます。
しばらくして・・・・



内部からも塗っていきます。ぬりぬり。



これで下地はほぼ完成です。ふー。
この後中塗り→上塗り(仕上)と工程が進むと完成です。



無駄な材料がでない壁の作り方


「真壁」塗りの場合、貫を利用して壁の下地を組むと
丁度壁の厚みが柱の間に納まりよく仕上げる事が出来ます。

この真壁の驚くべき所は隠れてしまう材料は竹と貫ぐらいで
あとはすべて、「仕上材」として活用されます。
柱や壁土は構造であり美しさを引き出す仕上材でもあります。

つまり、材料は最小限で、無駄なく最大限材料を使いきる為の
昔の人の大発明なのだと言うことが出来るのではないでしょうか。


隠れてしまう貫を利用しつつ美しく仕上げるように先人は工夫したのでしょう。
それだけ物を大事にし、手に入る物で知恵をこらし、
手間・ひま・心のこもった家を建ててきたのですね。
ボクのおじいさんの頃は、当たり前のことだったのに
最近では真壁で土を塗る家は大変珍しいようです。




作り手の論理・倫理

最初のブログのテーマの結論をそろそろ。
こんなに真壁で土をつけるのに適した工法だと言うのに
なぜ、貫壁工法が減っているのでしょうか。


ブログを読み進めるとわかると思いますが、壁を仕上げるのに
手間(工期)がかかります。特に壁土は水で練り上げられた粘土状のものを塗りますから
下地が乾くのを待つ必要があります。

最近の工期短縮の時代の流れの中では、手間・ヒマのかかる貫工法は敬遠されがちです。
また、竹を編む職人・壁土を塗る職人達には習熟した技術が必要です。
そうした諸問題をクリアして家を建てることを、作り手側は放棄しました。
単純な話をすればその方が儲かると考えたからです。
そうした背景から、一気に貫工法は廃れつつあります。



この情報化社会の中で、家づくりの選択肢は無数にあるように思われがちですが
実は、知らぬ間に作り手の論理(つくりやすい方法)の為に、
知らぬ間に誘導されていることも考えられるのではないでしょうか。
作り手の論理によってつくられた、
作り手に取って都合の良い、無数の選択枝が溢れているのだけではないでしょうか。


私達が選択することが出来るかもしれない、先人達が遺してくれた知恵の意味
(例えば今回の話でいえば「貫」)を民家を再生する仕事に立ち会うと考えさせられます。
作り手の論理を超えた設計をしなければと民家は教えてくれます。




ものづくりの本質に迫る設計

二回にわたって貫工法の廃れた理由について考えて来ましたが、
誤解しないでいただきたいのは貫工法だから・竹小舞を編むからいい家が出来るのではありません。
逆に貫工法じゃないから、竹小舞を編まないからいい家が出来ないのでも、もちろんありません。

先人達からそれらの工法を通じて学べる家づくりの大切な何かを引き継いで
後世に続く民家として甦らせることが大切なのだと思います。
本質を理解せずに形だけ、上辺だけをまねると何かが欠如した物になりかねません。



最後に僕の好きな大工の棟梁から教えて貰った言葉
「最近の人は、ヨーイドンで家をつくって早く出来ることを急かすけど」
「本当は家が出来てからが、ヨーイドンだろう。そこからが職人の腕の競争だ。」



ゆあさ


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