このブログ前回のおさらい→ばってん承知之助へ
この建物には、確かに「何か」が棲みついている。
言葉は悪いがバケモノのように凄みや畏怖の念を抱かせる何か。
よくこう言われます。
「こんなに大変な手間とお金をかけて」さっさと壊して
新築すれば良かったのに。
こうも言われます。
「こんな汚い柱・梁に何の意味や価値があるの?」
ひどい場合には
「設計事務所や工務店にだまされて、こんなボロを工事しちゃったんじゃないの?」
古い家をなおすことは本当に難工事です。
文字通り、綺麗ごとではすまない問題が山積みです。
金銭的な問題。周囲からの嘲笑。技術的な問題。
結果、あたりまえのように古い家は取り壊しの現実を受け入れるしかありません。
しかし、いちばん高いハードルは
「この家をなおそう!」と決断する勇気 が 持てるかどうかではないでしょうか。
大事なのは、なぜ古い家をこわさずなおすのか?という問いに
自分で応えられるかどうか です。
もし熟考の後、答えられるとすれば、心は動きます。心は背中を強く押してくれます。
古い家をなおす仕事をしている自分にとって
その問いに対する答えは幾つかありますが、
この工事を担当して出会った一本の木から教えられたことを
次回少しかいてみようと思います。
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ゆあさ