大角設計室のブログ

おだやかなくらし。刻が染み込む家をみんなで創ります。

誰がために


今日は珍しく、夕方まで現場に入れる日なので
うきうきしながら、緩やかな坂道をバスに揺られています。

いろんな時間に現場に行くのが好きです。

朝靄のなか。
強い陽射しが差し込む日中。
薄曇りのほの明るい室内。
雨音の聞こえるほの暗い部屋。
夕日に浮かぶ建物のシルエット。
夜間のあかりと溶け合った建物。

すべて見たいと思っていますが、
県外の場合はとくに、乗り物のスケジュールの都合上
時間が限定的になりがちです。






この時間に来て正解だったな。
心からそう思いました。



板壁を貼り終えたばかりの建物は輝いて見えました。




建物を一生懸命つくった先には信じられない美しさが
たち現れる瞬間があります。


この建物の外観はこの季節は
このアングルが本当に綺麗です。





常々思っていますが
建築そのものが自立する大切さだけでなく

自然の力を素直と味方に出来る建築でもありたいと思っています。


個人的にはそれを「建築が深呼吸している」と読んでいます。


民家のデザインには建築という人工物に対して
自然の恩恵が優しく手を差し伸べてくれる幸せな瞬間がより多く
隠されているように実感しています。


この瞬間に立ち会えたときは、
本当に建築の全ての良さは、僕が一番知っているというか、
はたまた、
民家が僕に話しかけてくれている心境というか、
そんな、ややアブナクも(笑)幸せな気持ちになります。




建物には、施主がいて
設計者は施主に請われて図面を描いているわけで、
決して設計者の所有物ではないのですが


熱を入れて仕事をしていると
なんだか建物に感情が乗り移って来て


いつしか建物が
施主へ向かって、だけではなく
自分にむかって
祝福の眼差しを向けてくれているように感じる瞬間もあります。




工事に携わる職人さんもきっと
そんな心境が多少あるんじゃないでしょうかね。


そう現場を見てていつも思います。


自然の力を建築に呼び込むのと同様に
もう一つの大切な
職人達の手の技の力を出し切ってもらえる図面を描くことも大切です。


現場にはそこかしこに職人達が、建築と対話した跡が残されています。





そんな職人による心の瞬間を
見逃さないようにしようと、現場では心掛けています。


この作業だって、もう一枚前の写真だって
一般の人にはなんのこっちゃですが
ものすごく真摯に建物に向き合ってないと
やらない作業を、現場で一番若い大工さんが黙々とこなしています。


僕たちは、お金を職人に払う訳でもありませんし
むしろ職人達に煙たがられる存在なわけですが
そんな厳しい目を持つからこそ


そういった無言の対話が職人と可能です。



ぼくはおしゃべりなので、結局誉めちゃうわけですが。。



そんな時は、いつもきまって、
民家も職人も

照れくさそうに無言ですが、何か尊いものとして祝福されているように見えます。











無言でありながら輝く一皿。
クジラが囁いてます。
パンチが利いてKO寸前。

「玄孫」の刺身盛り合わせ。といつものおやじパンチ。


うめごたぁ〜




ゆあさ