大角設計室のブログ

おだやかなくらし。刻が染み込む家をみんなで創ります。

壊す と 創る

破壊と創造がひそむ現場。

古今東西「破壊と創造」は創作の大きなテーマとなってきました。
ニーチェが唱えた「創造的な破壊」といった哲学的概念は
その言葉の魅力に絡みとられ、世界中に広がりました。
その言葉を曲解し
あまりにも陳腐化した思想がスクラップ&ビルドのようにも感じます。



古民家を触って肌で感じた僕個人にとっての
「破壊」と「創造」とは

「破壊」とは、本当は静けさのともなうものであり、
「創造」とは、いつ生まれたかわからないほどの、ささやかなもの。

そういった創造的破壊こそが
今の時代に相応しいのではないかと思い始めています。



古民家を「壊す」という行為は
その先に「創造」があるためとはいえ
壊す対象をどのような想いで見つめるか、その眼差しが大切だと思います。

その古い壊すものへ畏敬の念が「破壊」と「創造」をつなぐ鍵ではないでしょうか。


往々にして、
「破壊」と「創造」が分断されちゃうんですよね。
たとえば、古い建物を壊して、更地にしてしまってから
建物を新築するケースは、「破壊」と「創造」の間にはなにか
分断された見えない空白を感じてしまいます。

更地にしなくて、古い建物を再利用しているとしても
「壊しっぱなしだナァ」
もしくは
「壊したんだね。うん。新しく加えたんだね。うん。」と
時間の分断を感じる建物が
そこかしこに散見されるのではないでしょうか。

それぐらい、時間の連結は
命短い人間にとって、膨大な想像力を必要とする創造的作業です。



ただ「破壊」をすれば

自動的に「創造」がうまれるわけではないことを、
肝に銘じなければ行けません。

古民家を改修していると言う人達が
この破壊と創造の狭間を勘違いしやすいんですね。
もちろん、自戒を含めてですけど。



そうわかっちゃいるから
この現場は、むちゃくちゃ難しくも楽しい現場です。


どう「創るか」ではなくて


今回は


「壊したら」、いつのまにか出来ていた。



そんな風に感じられるように考えています。




矛盾と葛藤。
でぇーれ−ムツカシイのぅ。



ゆあさ