現在設計監理している店舗の材料を見に
名古屋にある、製材所を訪ねました。製材所とは山から切り出された丸太(原木とよばれる)を建築用材として必要な寸法/形にカットし形を整える下準備をする工場です。
大角設計室はほぼ99パーセント「木造」の建築を設計している
建築設計事務所です。
木造とは「木」でるつくる建物のことです。
とはいえ「木」という言葉は現在はさまざまなニュアンスを含みます。
大別すると「木」には2種類あって「無垢」のものと「成型」したものです。
無垢材とは、純度100パーセント。どこまで削っても木そのものが出てきます。
成型材とは、集成材。CLT。などと呼ばれる、木を積層、または結合し、建築用材として形作ったものです。
それぞれにメリットデメリットがあり、適材適所に使用されています。
初期は「無垢の木の建築」と「そうじゃない木の建築」とはっきり区別していましたが
現在はどちらも同じカテゴリーで「木の建築」とひとくくりで呼ばれています。
私の感覚でいえば、それぞれで作り上げた建物は
見た目、質感とも全く別ものなので、二つの建物は全く違う目的で建てられた
「木造建築」と「木”質”建築」というべきではないかなと感じています。
そのことはまたいつかブログ別記事で考えてみたいと思います。
大角設計室は「無垢」を使っていますので、今回は
「無垢」の「木の建築」の話です。
前置きが長くなってしまいましたが、
今回のブログの主眼は「無垢の木」が「無垢の木」になるまでを
自分はちゃんと感じながら
図面の線をはたして描いているだろうか?ということです。
「無垢の木が無垢の木になるまで」
なんだか変な言い回しですね。混乱させてしまってすいません。
でも、この違和感が私をふくめ、木造建築従事者にとって、とても大切なことだと思っています。
無垢の木の建物が出来るまでを製材所からのプロセスで順序立ててまとめると
1「原木」が削りだされ
2「建築用材」となり
3「大工による手刻みで組み上げられて」
ようやく建物がたちあがります。
一般的に「無垢の木の建築」として認識されるのは
3.の完成後の建物をみた時です。
1.2.のプロセスを目にすることはありません。
「無垢の木」は削り出されても純度100%ですから、
完成後の木の表情も大変豊かで、大変美しく感じます。
それゆえに
木の家を設計する人が、「最終的に立ち上がる姿のみ」を見て、評価/満足する
危険性が「無垢」という言葉に含まれています。
最終的に美しいことが、その奥にある美しさを掘り下げる
盲目のベールを作り出しています。
世の中「木の家」「無垢の家」「手刻み」「伝統」「自然素材」などをかかげる
建物は数多く溢れていますが、
表面上の価値にとどまっているものが多いのが現状ではないでしょうか。
その最終的に施された木のデザインは、
無垢の木になるまえの無垢の木の良さを本当に使い切っているだろうか?
そう製材所に行って考えさせられました。
圧倒的な原木の重量感。
無骨さ。
恐ろしいまでの木の生命力。
命の塊そのものを、これから使わせてもらえる喜び。
耳をつんざく轟音とともに切り出される瞬間。
熟練の工人による位置取りにより厚み、幅、向きが決められますが
自然との対話は、いつも思い通りにいくわけではなく
畏敬の念や、祈りにも似た思いがこみ上げます。
切り出されたばかりの
やわやわしい木肌。
荒木のままの木目のたった状態での、仕上げを削った後の夢想。
予想以上の木目の美しさに対するワクワクと安堵。
「無垢の木の家になる”前”の」「無垢の木」を思うことが
無垢の木の良さを
あますところなく、100%使いきることにつながります。
無垢の木の家をみて、「ただの無垢の木」が記号的に使われることなく
印象深い本当に意味ある「無垢の木の建物」が出来るのではないでしょうか。
完成した時のみの美しさを切り取るだけの住宅なんて、ツマラナイので
完成する何十年、何百年も前に、すでに生まれていて、
そこから紡がれてきた「美の塊」を
しっかり意識すること。
「古いからいい」だとか、
「古くて新しい」だとか、
「自然素材」だとか言うは簡単で誰でもできますが
言葉面だけじゃなく、その思いが
自分の体温としてしっかりデザインとして無垢の木に現れているかどうか。
その時に初めて、未来に伝え、残していくに足りうる
時を乗り越えていける、厚みのあるデザイン/建築になるのではないか。
そんなことを考えさせられた1日でした。
ゆあさ