先月(2023年6月30日)無事終了いたしました!
山口敏郎氏によるアートイベント、たくさんの方にご来場いただき
ありがとうございました!
夏に向けて、併設されている中納言店の茶房「ひねもす」にて
かき氷をキメてきました。
シルエットがもはやアートですね。
オススメです。
開催時期が梅雨時期だったので、「水」「雨」みたいなものを
テーマに何かアートイベントが出来ないかと打診したところ
ちょうど今年の山口さんのテーマが「滴」だったので、展示内容は
とても素敵なものになりました。
なかでも個人的に感じたのは「にじみ」という技法に関してのコト。
滴がしたたり落ちて、波紋のように、ジワジワと広がっていく。
そんなイメージ展開の作品をながめながら、
「昔、旅行をしていた時に、古民家で見たことがあるナァ。」と
ぼんやりと過去の記憶を辿っていたのですが、
ああ、あの時だなと思いだすのが、岐阜県の民家です。
この画像がその時の民家です。
高窓を見上げると、障子がハメこんであり太陽の日差しが差し込むたびに
青海波の模様がじわわぁ~~~っと浮かび上がります。
手すき和紙の微妙な紙厚の変化や
模様を描いている線の濃淡によって
光の差し具合と相まって、
本当にキラメク波間のような瞬間を垣間見ることができます。
日本建築の粋が詰まったデザインだなと感激した記憶が鮮やかに
甦ります。
じつは、展覧会会場となった廣榮堂中納言本店には
この時の感動を少しアレンジしたデザインがあります。
障子の部分には直接何も描かないようにして、
その障子と距離をとった外側に格子やロゴを配置し
ある一定の光が差し込むと、ぼやや~~~っと
障子の面に、陰影が浮かぶようにデザインしています。
営業時間の関係で皆さんは見ることが出来ないのですが、
夜間に、車や路面電車のライトが店舗にあたり
ゆっくりと光と影のシルエットが店内を巡る様は感動的です。
今回はあくまで「ぼんやり」した店舗デザインを一部採用しているのですが
今振り返ると、今回の展覧会との相性というか相乗効果は
非常に高かったかなと、今更ながら感じたところです。
最後に、展覧会に寄せて
アーティストの山口さんが素敵なテキストを書いて下さったので紹介します。
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ごあいさつにかえて
これまで私は中国様式の寺、バロックの宮殿、中世の城、ゴチックのカソリック教会などでこれまで作品を発表する機会を得てきた。こうしたサイトスペシフィックな作品作りの醍醐味は単にその場所に自分の作品を並べるのではなく、そこにあって見えない存在を提示することにある。こうした場所の持つ歴史の重みは半端なく物凄いパワーと存在感を持つ。それに比例してそこに付着した観念の堆積に圧倒される。覆われている歴史、思想の衣を剥ぎ取り、そのありのままの姿を見るのは困難である。。
何がありのままの姿を見えなくしているか?それは、固定観念であり、先入観念だ。
これはこうあるべきだ、これはこうだ。と言う思い込みである。否定できない確固たる常識にぶつかる。むしろそれに包まれて安心する。癒される。
アーティストは常に外部からの刺激を素直に受け止め、固定観念で見ようとしない生き物だ。そして、閉じ込められ固着化しようとする動きを必死でストップしようとする。
固着化は宇宙の動きと反する。固着化した瞬間からその世界は緩やかに、しかし確実に衰退していく。
固定観念、先入観念は自分を固着化し止めを刺そうとする。さらに自分に植え付けられたのドグマを他人に押し付けてしまう。「私が正しい、あなたは間違っている。」
ピカソは言う。「芸術は宮殿や家を飾るためにあるのではなく、自分を守る盾であり、敵と戦うための武器である。」この敵こそが固定観念であり先入観念だ。
人は固定観念で世界を見る。そのほうが楽だからだ。
AならA、BならBと決めておいたほうが楽だし危険はない。
常識に従った方が無難であろう。
しかし今の常識は数年前には非常識であったし、今の時点でも地球の反対側では非常識の場合が多々ある。昨今、飛行機は飛ぶのが常識、世界中のどの場所とも瞬時に通信できるのは当たり前。つまり今日の常識は昨日までの非常識の破壊の上に成り立ってきたのではないか?
新しく生まれた常識は無数の非常識を孕んでいく。
この宇宙に絶対的にどの場所でも通用する真理は無い。
真理があるとすればそれは「変化」だけであろう。
この「変化」を避けようとする働きが常識になり現実に潜む多くの可能性を覆い隠してしまう。
アートは見えないもの見えるようにする。
無いものを創造することはできない。それができるとしたら神だけであろう。
あるものを自由に解釈し直すことはできる。それが創造じゃないか?
では畢竟何を創造するのか?それは自分自身だ。生まれて以来自分を固定し進化成長を阻む常識という巨大なムーブメントに対し、「何故?」という疑問を常に投げ掛け続け、自分自身を進化成長させていくことだろう。
この貴重な機会を与えて頂いた廣榮堂、そして大角雄三設計室の惜しみない協力に改めて感謝いたします。