地鎮祭です。
今年もいろいろな現場で
いろいろな人々と出会いながら工事を進めていますが、
この地鎮祭で、それぞれ各地ごとの神様とは初めてお会いします。
ちょうど祭壇中央に榊(さかき)が祀られていますが
そこを依代にして、祈願を行います。
この榊は祭壇のお供え物(海産物や果物等)とは別に、
玉串として祭典の中で捧げて拝礼することから、
格別な意味を有するものであると考えられています。
宮司はそこまで難しい話はしませんが、目の前にいらっしゃる神様へ
願いを込めて渡してね、的な、感じの説明をしてくれています。
玉串の由来は、神籬とも関連して
『古事記』の天の岩戸隠れの神話にあるといわれています。
天照大御神の岩戸隠れの際に、
神々がおこなった祀りでは真榊に玉や鏡などをかけて、
天照大御神の出御を仰いだことが記されています。
これがおそらく今の榊の木を依代に使ったり
玉串として使用される風習として残っているのかなと
個人的には思っています。
家を創るということは何でも合理的なことだけに現代ではなりがちですが
こうした風習のおかげでかろうじて、
「建築」とは「人知を超えた」行為なのかもしれない、と
改めて思いとどまり、
謙虚な気持ちで設計や施工、または大切に永く使いたいと生活者
それぞれの心に働きかけてくれるのだろうと思います。
例えば式典の前の手水の時も
衛生面だけ言えばステンレスの桶にペットボトルの水なのでしょうが
杉の桶に笹の葉が浮かべられたものを見ると
心の清らかさが全然違います。
意味もわからず「形式的」だけにセレモニーは進むこともありますが
祈念するということは
心の状態が一番問われているのだろうと思います。
そのために日本の残っている風習は、
しつらえや、所作がみなすべからく「美しく」出来ています。
「美しさ」は「合理的」とは無縁の概念のように思われがちですが
実はそんなことはありません。
「美しい」からこそ、「心に届き」ます。
人は合理的なことだけでは行動をしません。
心に動かされるものに反応します。
知らず知らずに心に届き続けているからこそ
何千年も前からの風習が今も形を変えながらも残っているのではないでしょうか。
翻って、では現代のものが未来へ残し、つなげていくためには
ある程度「美しさ」を持っているということが条件になっていくのかもしれません。
建築を作る上で、
設計事務所の担う職責は大きくなっていくのでしょうか。
そんなことをこの日、丁寧に作られた
美しい盛砂を見て考えたりしていたのでした。
ゆあさ