大角設計室のブログ

おだやかなくらし。刻が染み込む家をみんなで創ります。

田舎の風景を守るのは

秋ですね。

 

そこかしこで稲刈りがはじまり、黄金にたゆたう稲穂の波間向こうに

名もなき民家たちが里山を背に静かにたたずんでいます。

 

田んぼに水が映える春から収穫を迎える秋までは、日本全国で

問答無用の美しさを感じることが出来ます。

 

地方の設計事務所である大角設計室は

日常的にこの原風景を体感し、デザインの血肉となっています。

 

 

まわりを見渡せば、時代に追われ、無用の長物となった廃墟寸前の建物が

そこらじゅうに点在していますが、それは建物の「ひとつの側面が終了した」

だけであってそれ自体の価値が「ゼロ」になっているわけではないケースがあると

大角設計室は考えています。

 

ナゼ

そう考えられるかというと、いくつもの古い建物を残し、再生してきた経験値があるからです。

 

民家は、確かに「生きて」います。

 

 

古い建物をよくよくよーっく見ると

ようやく、はじめてわかる未来のデザインの種が潜んでいることに気付きます。

 

現代的にいうと「Re design リ・デザイン(再デザイン)」ですね。

 

過去から学び、現代に花開かせ、未来につなげる。

そういった行為が地方で民家を学んで設計している私達の気付きです。

 

現在も関東地方に見られる民家形式をヒントに

現代的な視点を加えてプロジェクトが進行中です。

 

 

 

古民家だけではなくて、一般的によく見られる

サイディングやクロスが貼られた家も

経年による美しさの種を見つけながら、ふたたび住まいに命を込めていきます。

 

 

取り残された民家を残したいと強く願っておられる住まい手の方の熱意に励まされ

日本全国北に行ったり、南に行ったり、東へ西へと向かいます。

 

 

いろんな場所にいくとよくわかるのですが、

「民家」にはひとつの共通の質をともなった「美しさ」が存在します。

 

それは単純に、瓦屋根やシックイ壁、

木材の風合いや各地方の特徴ある形や形式とも違います。

 

その共通の美しさとは名もなき民家たちの「根っこ」のようなもので

その「見えないものを見えるかどうか」がとても大事です。

 

そうでないと単純に「時代遅れに感じる」家を屁理屈をこねて

再生産し続けることになってしまします。

 

 

 

でも「見えないものを見る」ってなんのこっちゃですよね。

 

ヨクワカラナイってのが本音だと思います。

 

だけど田舎に生まれて、田舎で暮らしていると、そんな「透明な存在」に

確かに包まれて暮らしている実感があるんですよね。

 

「見えないものを見る」ということが「この先100年続く家を創る」ことと

同義だとすれば、まず先人から知るべきことは

「100年前に遡って」考えることではないかと思います。

 

100年前に建てられた、日本に残されたそこかしこの民家は確かに100年の歳月を

耐え抜いてきました。

だからその始まりにきっとこれから「更に100年先」を見据えるヒントの種があるのではないでしょうか。

 

途方もない冒険ですよね。

でも楽しいです。

これだから「民家」はやめられないです。

 

 

ゆあさ