これまでのおさらい
コロナで大変な中、建築界もしっちゃかめっちゃかです。
ステイホームができない職種はたくさんありますが
ちょっと前まで「インターネット」は世界を変えた。
これからは「リモート」だけの世界にどんどん変わると
言われていたのに
その待望のシュチュエーションが向こうからやってきたのに
「人を介す必要なく、高速で機能する状態が満たされた世界」が
いかに背広組の想像力の欠如で出来た副産物であったかを痛感しています。
製造業の中でもとりわけ建築は、どうしても組み立てを現地で行う必要があります。
やはり、人が、手で、つくる。
そういった必要がどうしても出てきます。
「クリックでは世界は動かないんだナァ」とツクヅク納得します。
でも正確に言うと、
「人を介さない高速で機能する状態が満たされた世界」を実現しようと思えば
限りなく近づけることも可能でしょう。
毎日均質にオートマティックに作られたものを食べて
均質に運ばれてくるラインで定時にものを受け取り
画面の向こうの人と不思議な距離感を残し意思疎通し
いつの間にか工場で作られた建物に住まう。
でも、こんなとっても便利でほぼ快適な生活を
なぜだか、世界は諸手を挙げて歓迎していないように見えるのは気のせいでしょうか。
結局、「機能的」な問題解決だけじゃ
人間は「満足しない」んじゃないでしょうか。
生きていくだけなら、家の中に閉じこもり続けてもいいのだけど
いつかは外を散歩したいと思う。
生きていくだけならば、サプリメントで栄養を補給すればいいのだけれど
たまに食べる両親のご飯が美味しく感じたり。
どうやら「幸せの鍵」は
現在「機能的で快適で簡易で」と喧伝されて広がる世界の中で取り残された
「本当は省略できない、すべきでない領域」を
自分なりに見つける必要があるのではないでしょうか。
では建築はどうでしょうか。
建築を見て、触って、生活して、幸せに感じてもらえる鍵が
あなたの家にはデザインされているでしょうか。
それとも、「機能的」という言葉を上塗りしたような建物を
生身の人間に機械的に押し付けてはいないでしょうか。
機能的は当たり前として、その上で「プラスアルファ」があるかどうか。
私たちの描く、一本の線が
生活者の心の奥底を楽しく、幸せにできるように
慎重に設計していければいいなと思っています。
ゆあさ
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